大判例

20世紀の現憲法下の裁判例を掲載しています。

神戸地方裁判所洲本支部 昭和28年(ワ)51号 判決

主文

被告は、原告に対し金拾万円及びこれに対する昭和二十八年八月二十六日より支払ずみに至るまで年五分の割合による金員の支払をせよ。

原告のその余の請求を棄却する。

訴訟費用は、これを三分し、その二を原告、その一を被告の各負担とする。

この判決は、原告において担保として金参万円を供するときは仮に執行することができる。

事実

(省略)

理由

原被告が訴外岸本喜三郎夫婦の媒酌により、昭和二十七年三月二十六日結婚式を挙げて事実上の夫婦となり、以て婚姻の予約をなし爾来被告の父次男方において同棲して来たことは当事者間に争がなく、証人岸本かずゑ、同山崎猛郎、同中西こいく、同中西三代子、同中西孝兵衛、同小谷みゑ子、同井高武、同田しげ子、同喜田こはる(一部)の各証言、原被告各本人の供述(但し被告本人の供述はその一部)及び弁論の全趣旨を総合すると、原被告の結婚話は、前記訴外岸本夫婦の仲介により昭和二十七年三月三日頃から始められたもので、原告家は、原告において裁縫等の嫁入稽古がしてないから、右稽古のため結婚式を同年末頃に挙げたい旨申込んだところ被告家は、原告には被告の父の営業である主食配給所及び精米業の仕事や飯たきの仕事を手伝つてもらつたらよい、裁縫等をやつてもらう必要の生じた場合は、その稽古は被告家からさせてやる、結婚式は早急に挙げたいと懇請したので、前記の如く同月二十六日に結婚式を挙げるに至つたものであること、被告の母こはるは、結婚後約一ケ月経た頃から、原告において、同人に対し仕事の指示を仰いでも指示してくれず、仕方なく原告自らの考で仕事をやると、勝手にやると叱りつけ、裁縫その他嫁としてなすべき事は何も出来ないと小言をいい、事毎につらく当り散らして不気嫌な態度に出、やさしくいたわつてくれるようなことは全くなく、いわゆる嫁いじめをやつたこと、こはるのかような行為は、後記の如く原告が最後に被告家から実家へ連れ帰されるまで引続き行われたこと、その間当時二十才の原告は、こはるの気に入る立派な嫁となるべく努力したが、強情なこはるはちつとも自己の態度を改めず、原告から事情を聞いた被告の再三の勧告にもかかわらず嫁いじめを継続していたこと、そのため、こはると原告との仲は日増しに悪化し、原告は日夜苦悩していたこと、原告は同年八月上旬頃こはるの虐待に堪え得ず、深く煩悶の結果、自殺しようとまで考えて、被告宛の母に気に入るような嫁をもらつてくれとの置手紙を自室において被告家を出て実家に帰つたことがあること、その際は被告の父が心配して原告家に迎えに来たので、原告の父が原告を被告方に連れ帰つたこと、右の事があつてから、こはるの原告に対す虐待ぶりは益々露骨になつていたこと、同年十月下旬原告は、健康を害したので被告及び父母の承認を得て数日間実家に帰り、休養の上十一月一日被告方に帰宅したところ、こはるは、原告のたいた飯を故意に食べないで外食し、原告のなすことに一々けちをつけ、又その翌日頃被告がこはると別居することについて口論したことがあつたが、それからは、こはるは益々原告につらくあたり、そのため原告は三度の食事もろくに食べられなかつたこと、その間こはるは原告を叱りつづける有様で、十一月三日の朝原告が鶏の餠をやろうと思つて露路の裏戸を明けようとしたところ、洗濯していたこはるは、原告に対し「入つて来なくてもよい、お前のような者は出て行け」とどなりつけたこと、そこで、原告はこはるとは瞬時も同居し得なくなつたのみならず、二日間位は殆ど食事もとらず、睡眠もとつておらず、心神共に綿の如く疲れていたので、洲本市物部山崎の姉方に行つて姉と身の振り方を相談しようと思い、同日被告方を出て、姉方に赴き、十一月四日の夜まで同家において休養し、その間姉とも相談の結果、やはり被告方に帰宅して、こはるに詫を入れ、如何に苦しくとも辛棒しようと決意し、同夜十一時頃被告方に帰つたところ、既に戸がしまつていたので、鶏小屋の方から、屋内に入り、被告を呼びながら、被告の居室に入り、被告に近寄つたところ、性来おくびような被告は、睡眠中で原告の声が聞えなかつたので突然の入室に強盗かと大いに驚き、速時起き上つて逃げ出し、被告の父母の居室に入つて、失神したので、一同驚き、すぐ医者を迎えて応急の手当をしたこと、翌十一月五日早朝、こはるは、原告に対し「お前が側におると純一の病気はよくならぬから、一時実家に帰つておれ」と申したので、原告が看病をしたいから是非このままにおいて貰いたいと懇請したが、こはるは、これを聞き入れず、裏口から原告を押出すようにして連れ出し、自動車で原告家へ原告を送り届け、同家の家人に「話は後でするから預つてくれ」と言い捨てて直ちに辞去したこと、その後被告方からは原告の復帰につき何らの話もないので、爾来昭和二十八年一月末頃まで、原告の父母は、前記仲人岸本喜三郎の妻かずゑに依頼して原告の復帰につき被告方に交渉せしめたところ、こはるは右岸本かずゑに対し「あなたには何もいうことはないし、聞くこともない」といつて全然相手にせず、又原告家では、被告の勤務先である前記神戸銀行洲本支店長山崎猛郎にも依頼し同人を通じて被告及びその父母に交渉したが、同人らは原告を復帰せしめようとはしてくれなかつたこと、けれども、その間原告は、被告の勤務先等で再三直接被告に会つて交渉した結果、被告は、父母と別居して原告と世帯を持つことにするから適当な貸家又は貸間を探せといつたので、原告は、喜んで諸所を探し廻つた末、洲本市宇山に適当な貸間を探し、被告承認の下にこれを賃借し、世帯道具も運び入れて、数日後には被告と同棲することに決定していたのに、被告は一ケ月間も原告が待つていたにかかわらず、遂に右貸間に来ず、同棲するに至らなかつたこと、その後同年二月上旬頃、被告家より前記仲人岸本かずゑに対し原告を離別する旨を告知したこと、なお、その数日後被告自身も、右岸本かずゑに対し、「親には代りがないが、妻には代りがあるから、かつみを離別する」旨を申伝え、又その頃、原告が被告に直接会つてその真意を確かめたところ、被告は右岸本かずゑに対すると同趣旨のことを放言したこと、原告は、最後にこはるに連れ帰された当時、被告のたねを宿して妊娠していたところ、前記の如く被告より離別を告知された後、やむを得ず、医師により妊娠中絶したこと、原告は、温順で朗かな性格であり、嫁としてはさして批難すべき点はなく、結婚中、被告に貞淑に仕え、家人にもよくつとめ、殊にこはるに対しては同人の気に入るよう日夜努力していたこと、被告は、融通のきかぬ、物堅い性格であるが、結婚中は、原告を愛し、従つて夫婦仲はよかつたこと、こはるを除くその余の被告方の家人と原告の仲も悪くなかつたこと、ただこはるだけは、上述の如く始終嫁いじめをやつていたこと、被告は、結婚中、常に原告より事情を聞いて、こはるの原告に対する嫁いじめの事実をよく知つており、むしろ原告に同情して母と口論したことさえもあつたこと、又原告が最後にこはるに連れられて実家に帰された事情についても、原告から聞いてよく知つていたことが認められ、証人喜田こはる、同清水喜八、同喜田由雄、同喜田役一の各証言、被告本人の供述中、右認定に反する部分はいずれも措信し難く、他に右認定をくつがえすに足る証拠はない。

被告は、原告は、こはるにおいて原告主張のように原告を虐待した事実はなく、むしろ原告は、気ままで平素こはるのいうことをききいれず、勝手な振舞をし、再三無断家出したものである等るる主張しているが、前示証人喜田こはる、同清水喜八、同喜田由雄同喜田役一の各証言、被告本人の各供述中、右主張事実に合致する部分は、いずれも、前示各証拠に照して、たやすく信用をおきがたく、他に右事実を認めるに足る証拠はない。

右認定の事実関係によれば、原告は、被告との結婚話が始められてから、被告家の懇請により早急に結婚式を挙げて事実上の夫婦となつたところ、一ケ月頃から被告の母こはるから始終いわゆる嫁いじめの虐待を受けたのである。そのため日夜苦悩の結果昭和二十七年八月上旬頃には自殺しようとまで考えて置手紙をして実家に帰つたことさえあつた。原告の右の所為は稍々行き過ぎの観がないでもないが、二十才の未だ思慮浅薄な原告としては、前認定の虐待の下においては誠にやむを得ない措置であつたと見るべく、余り批難すべきではなかろう。又同年十一月四日午後十一時頃鶏小屋の方から就寝中の居室に入つて、被告を失神せしめた原告の所為も、一見妥当を欠くの観があるが、それまでに至る前認定の事情を彼此参酌して検討すると、右原告の所為もまた批難に値するものとはいえない。しかるに、こはるの原告に対する前認定の嫁いじめの虐待行為は誠に言語道断というべく、原告においてこはると同居する以上は被告との結婚生活は到底継続し難く、これを継続するには結局原被告においてこはると別居するの外なかつたのである。かような状態にあつた折柄、同年十一月五日早朝原告はこはるに無理に連れられて実家に帰されたのである。その後、原告家からは仲人や第三者を通じて再三原告の復帰方を懇請し、原告自身も再三被告に直接会つて復帰方を懇請した。そこで、事情を知悉している被告も原告に同情して、被告の父母との別居もやむを得ないと考え、原告と同棲すべく、原告に借家又は借間を探させ、原告の探した借間に同棲しようと原告と約束しながら遂に、その約束を履行しないのみならず、昭和二十八年二月上旬頃既に妊娠までしている原告に対し離別する旨告知した。すなわち婚姻予約を破棄したのである。そして、前認定の事実によれば、被告が右婚姻予約を破棄するに至つたのは結局被告の両親殊にこはるの意見に従つたものと推認すべきであろう。結婚中、原被告は、夫婦仲はよかつたし、又こはるを除くその余の被告方の家族と原告との仲もよかつたのである。ただこはると原告との仲がうまく行かなかつたのである。前認定のようなこはるである以上は、原告に対する態度を改めることはとても不可能といわねばならぬ。前記の如く原被告が円満な結婚生活を継続して行くにはどうしても、こはる、従つて被告の両親と別居するより外なかつたのである。さればこそ、被告は、原告が最後にその実家に連れ帰された後において、原告と共に別居する決意をし、原告をして貸家又は貸間を探させたのである。被告のその措置は誠に賞讃に値する。しかるに、両親殊にこはるの強硬の意見に屈服して、原告が折角が探して準備した貸間に来て同棲するに至らず、遂に妊娠中の原告を離別するに至つたのである。原告本人の供述によれば、被告の父は、最後まで原告を可愛がり、原告に対しこはるは判らず屋だから辛棒してくれと慰めていたことは認められるから、被告において父に懇請したら、こはるが如何に反対しても、原告に同情していた父の力により原告は復帰し、被告と共に別居し、以て幸福な結婚生活を継続し得た筈である。被告において真に誠実な夫としての責任感と勇気において欠けるところがあつたため、ずるずるとこはるの意見に従い、果ては婚姻予約を破棄するに至つたものである。すなわち、被告は、正当な事由がないのに、原告との婚姻予約を破棄したものというべきであつて、被告の右破棄の所為は、右婚姻予約の当事者としての債務不履行の行為である。そして、原告が、右婚姻予約の破棄により多大の精神的苦痛をこうむつたことは、勿論であるから、被告は、原告に対し右精神的苦痛を慰藉するに足る金員を賠償すべき義務があるわけである。

そこで、進んでその慰藉料の金額について判断する。

前示証人中西幸兵衛、同岸本かずゑ、同中西こいくの各証言、原告本人の供述を総合すると、原告は洲本市立柳高等女学校卒業後洲本市農業協同組合に勤務中、前認定の如く被告家より懇望されて被告と初めて結婚したものであること、原告の父は、農業兼大工を営み、田一町余、建坪五十余坪の家屋敷を有し中流以上の生活をしているものであること、原告は、被告より離別された後大阪市の薬屋に女中奉公等をしていたこともあつたが、昭和三十年九月兵庫県三原郡広田村長尾豊一(当三十一才)と婚姻し、農業に従事していることが認められ、前示証人枝川清吉、同岸本かずゑの各証言、被告本人の供述の一部を総合すれば、被告は、その父母の長男に生れ兵庫県立洲本実業学校を卒業し、爾来株式会社神戸銀行洲本支店に勤務して現在に至り、俸給月一万六千円位を給与せられていること被告の父は、主食配給所と精米業を兼営し、居宅、店舗、その敷地の外借家約二十五戸を有し、右財産の見積総額は五、六百万円位であつて、上流の生活をしていたところ、本件訴訟中昭和三十年四月十一日死亡し、その妻こはる及びその子である被告外三名がその遺産相続をなしたこと、被告は、原告を離別した後昭和二十九年三月十一日淡路高等女学校を卒業した現在の妻(当二十六才)と婚姻し、子一人があることが認められる。右認定の原被告双方の各事情及び前段認定の諸般の事情を参酌すれば、被告の原告に対して支払うべき慰藉料は金十万円をもつて相当と認める。

以上の次第であるから、原告の本訴請求は、被告に対し金十万円の慰藉料の支払を求める限度において正当として認容すべきであるが、その余の請求は失当としてこれを棄却し、訴訟費用の負担につき、民事訴訟法第八十九条、第九十二条、仮執行の宣言につき、同法第百九十六条を適用し、主文のとおり判決する。

(裁判官 安部覚)

自由と民主主義を守るため、ウクライナ軍に支援を!
©大判例